「一体、これはどういうことだ……」
ディエンタールにたどり着いたディアボロスはその惨状に愕然とした。
ディアボロスがディエンタールを去るとき、アルセエリスの侵略によりディエンタールは瓦礫の山となっていたのは事実である。だが、それでも生き残った者も、形を残した建物も多く、まだ街としては成り立っていたはずだ。
だが、今のディエンタールには人の気配もなく、僅かに建物の残骸がある程度である。廃墟といえるほどの形すら残っていない。まばらに残ったレンガはここがかつて街だったことを知っていればその痕跡を見つけることができるが、地面には白と黒の灰、そして紫と紺色の粘ついたものが散らばっていた。
だが、城はかろうじて城らしきものとして残っており、深想の塔はまだ形をとどめていた。
塔から光の柱が立ち上っており、塔全体が光を放っている。さらに塔からは光の波紋が広がっており、それがただの光でないことは、触れるたびに体を侵食するような感覚があることによって明らかであった。
「アーリカン、この地には別の神が降臨していたはずだ。そのことを何か知らないか?」
「アレなら、俺が倒した……はずだ」
「倒した? アーリカン、貴様また見境なく……」
「そうじゃない! アレは神と呼べるようなものじゃなかった。 むしろ、君が世界に投げ込む炎に近いくらいさ。
不気味な形をしていて、アレを囲むようにして整然と並んだディエンタールの人々は魂を失ったように呆然としていた。俺にはすごく危険なものに思えた。正直怖かったんだ。
俺は剣で切りつけた。アレは何も動かず、一撃で倒れて灰になった。ディエンタールの人々も、それでまた動くようになったんだ」
「全く意味がわからんな。そいつは一体……」
謎の存在に気を取られていたタケルとカルヨソだが、ディアボロスは別のことを考えていた。
この世界はそもそも不完全な世界だ。その世界に追放するのは、この世界もろとも消すことができればそこにいる存在を消し去ることができる。その場合、中にいる者の力は関係なく、ディアボロスを滅ぼす合理的な方法というわけだ。しかし、それは世界もろとも消す、ということが前提だ。カルヨソは世界を焼き尽くすことで使えなくしているだけで、世界という器自体は一度生み出したら残り続けている。使い物にならなくても器自体を消すことはできないのだ。
なら、世界もろとも消すということ自体が机上の空論ではないか?
もしそれができないのなら、考えられる方法は「箱に閉じ込めて、爆破する」というような方法だ。カルヨソの方法はそれに近い。だが、カルヨソは世界という器そのものを焼くことができるほどの炎ではないため、世界という器に閉じ込められている意味は薄い。小さいこの世界に余すことなく届く炎を放つことがでれきば、逃げ場のないこの世界の者はその直撃を避けられないだろう。
「……来るぞ!」
ディアボロスが吼えた。塔がまばゆく光り、そこから無数の白い物体が飛来した。
「使徒だ!」
槍、弓、鎌、剣、様々な武器を携えたできそこないの人型のような形をした白いそれは、神々が尖兵として使うこともある傀儡であった。創造は容易ではなく、神といえどかなりの力を使うため、そう多くは存在していない。しかし、その分力は強く、戦争において使徒の部隊に魔神が屠られるということもあった。
「愚かな……!」
カルヨソが自らの炎を結集させた。一気に焼き尽くそうというのだろう。
「ォォォォォォォォォアアア!」
ディアボロスが拳を放つ。大地が揺れ、空気が砕ける。空を叩いた拳が生み出した力が飛来する使徒を、まるで蠅の群れに電撃を浴びせたように叩き落とした。
「せぃっあ!」
ノステラは速い。落ちた使徒を見逃すことなく、まだ生ける敵を即座に貫いた。
「はっ――!」
手負いとはいえ、タケルも上層世界で並ぶもののない剣神だ。ノステラと完全に息の合った連携で使徒を確実に切り刻んだ。
カルヨソが炎を放った。投げられた一条の炎は使徒に躱されその陣中に飛ぶや、渦巻いて使徒の陣を炎獄に変えた。
「ラァァァァ!」
ディアボロスの拳が飛ぶ。空を叩いた力は炎さえも打ち砕き、塔から飛び出そうとする使徒もろとも焼いた。
瞬間、ノステラがタケルを抱えて飛び退いた。誰もいなくなった空間に空から漆黒の槍が降り注いだ。
「どういうことだ!」
カルヨソが叫んだ。光に包まれた塔から、その光を飲み込むような黒い影が広がった。魔神の使徒だ。
「俺たちを始末するためなら共同戦線も惜しくない、ということかな。光栄なことで!」
タケルの剣が影を切り裂く。歴戦の神々さえ容易ならざる魔神の使徒、しかし全ての世界の剣の化身として生まれたアーリカンの敵ではない。
「ダァッ!」
ディアボロスが拳を放つ。飛来する神の使徒も、魔神の使徒も、そして矢も槍も、そのすべてが一瞬で砕かれる。
無傷ではない。ディアボロスの巨人の体は使徒の矢を躱すことなどできはしない。一撃一撃の合間の攻撃がえぐる。だが、それを浴びぬよう、カルヨソの炎が援護した。それらを躱した、あるいはそれらに耐えた使徒はタケルとノステラが確実に仕留める。共闘などしたことのない、もとより敵対関係にあった者たちの連携が、完全に使徒の攻勢を封じ込めていた。
無傷ではない以上、無限に続けられるわけではない。神の力は尽きないが、ノステラはもとはただの人に過ぎない。それにどれほど息が合っていても、敵も戦術に工夫を重ねれば突破される可能性はある。
だが、絶望はなかった。この戦いに勝ちは見えている。なぜならば、使徒を生み出すのは困難であり、使徒の数では無限ではないことは明らかだからだ。
攻撃がやんだ。すべての敵を打倒したのだろうか。
「おかしい……いくらなんでも数が多いのではないか!
カルヨソ、タケル、貴様ら何か使徒を生み出す秘術を見つけたような話を聞いたことはないのか」
ディアボロスは問うたが、二柱はそれを否定した。当然のことだ。使徒を生み出すためには前提となる条件が多い。そう条件を揃えることもできず、その条件を取り除くことができるようなものでもないのだから。
塔は依然として光を放っている。ディアボロスは警戒を解かず、塔を睨みつけた。次の瞬間、光が爆発した。
その爆発は凄まじいものであった。大地に積もった全てのものが消え去り、光の粒子となった。
カルヨソもタケルも無事ではいられなかった。決して小さくないダメージであったことは苦痛に歪む表情から見て取れた。だが、それでは済まない者がいた。ノステラは大地に転がり、ぴくりとも動かなかった。
タケルがノステラに駆け寄った。
だが、ディアボロスはそのようなことを気にしている暇はなかった。塔からは数え切れないほどの使徒が湧き出し、そしてそれら使徒と大きさにして十倍はありそうな白と黒、合わせて四体がその姿を見せた。塔はもはや塔としての形を失い、ただの光の柱となっていた。
拳を放つ。また使徒が墜落するが、全ては落としきれず、大いなる使徒たちは創生の魔神の一撃に耐えてみせた。
カルヨソはもはやその群れに炎を放つことはできない。タケルもまた、ノステラを守って動けずにいた。
奴らはもはや自身の身を守るのがせいぜいであろう。
ディアボロスはそう思った。もはや攻撃を防ぐことなどできはしない。するべきことは敵を打ち倒す。それだけだ。だが、何も難しくはない。いままでもしてきたことだ。この肉体は幾度とない戦争において、無数の攻撃を受け止めてきた。剣神の魂の一刀も、遥か遠くの星に届く矢も、星を砕くハンマーも、その全てを受け止めてきた。またいつものようにその全てを受け止め、その全てを打ち砕くだけなのだ。
ディアボロスが手を伸ばすとその手に斧をとった。幾多の戦争において数多の強敵を叩き切ってきたゴルダールの武器だ。
「我が名はディアボロス! 再誕の悪魔がその企み、斬り伏せてくれよう!」
その力は世界が耐えられるかのほうが不安になるようなものであった。
一度ディアボロスが踏み込めばその波動だけでも使徒は砕かれ身が千切れる。斧を振るえば大地は避け、空間さえも避けてそこに使徒は吸い込まれ、吸い込まれたら最後その身は粉々になって消える。
だが、大いなる使徒は耐えてみせた。敏捷なる動きでその斧を躱し、その手から光と闇を放ちディアボロスに反撃する。使徒の攻撃は非力なものではない。三千世界の全てより硬いディアボロスを肉体といえども、突き刺さる鋭い痛みを確かに感じていた。
それでもそのような痛みにディアボロスが屈するはずもない。世界を生み出すために槌を振るい、世界を破壊するために斧を振るってきたディアボロスはただの戦いで屈するような魔神ではないのだ。
「落ちるがいい!」
斧に力を込める。ディアボロスはその強靭なる肉体で知られるが、ただそれだけでは創生の魔神たれない。体から雷が迸る。炎が灼熱に染まる。
ディエンタールという地には思い入れがある。
この地で目覚めたとき、なにひとつとして思い出せず、ただこの犯してはならない罪に手を染めた者どもを砕かねばならぬと魂が叫んでいただけだ。しかし、その感情も、その理由も、拳を振るうごとに消えていった。なんのために拳を振るうのか瞬くうちにわからなくなった。
そして迷子となった。知らぬ世界で、知らぬ自分のまま放り出された。
そしてマリーと会った。ディアボロスを恐れながらも仕方がないと世話を焼いていたマリー。愛がないことは知っていても、その情は今でも忘れられない。なんとしても守りたかったという後悔は今なお消えない。
ティシャとの出会いは偶然に過ぎなかった。守れてよかったと心から思う。ティシャはただの子供だと思っていたのいつ頃までなのだろう。今も子供であるのだろうが、ティシャの中の女としてのティシャは、とうに成熟していたのだ。もしかしたら誰より確固たる愛を持っているのかもしれない。その迷いのない強さを、ディアボロスは心から尊敬している。
マリーから軽い軽蔑の目をもらうことになったが、娼館での出来事も忘れがたい。これほどまでに魅入られる女との出会いが待っているなどと思いもよらなかった。アオカナとルシカ、この二人との出会いを幸運と言わずしてなんと言おうか。あれほどの愛を注がれて、それに応えられていないのが悔しくてならない。シトラスに帰ればその愛にもっと応えよう。これで全てが終わるのだ。あとは彼女たちを愛する以外にすべきことなどない。
あの宿でネルラと出会ったときのことは生きていてそう感じることのない驚きだろう。賊の侵入など、ディアボロスが生きてきた経験の中にはない。あの何を考えているか読めないネルラの愛が取引でないことを信じるまでには随分時間がかかった。ディアボロスが信じるまでの間、ネルラはどれだけの無償の愛を捧げたのだろう。ネルラは見えないところでその力を発揮し、ディアボロスには全力で愛を注ぐ女だ。その労にも愛にも、しっかりと報いる必要があるだろう。
その全てをこの地で刻んだ。そのすべてが忘れがたい。その記憶が風化してしまうとしたら、それほど悲しいことなど他にあるだろうか。
まだ半分は思い出していないのだ。前世の自分は果たしてこれほどまでに愛されていたのだろうか。これほどまでに愛することができたのだろうか。もしかしたら、前世の自分とはそのような男だったのかもしれない。なぜならば、ゴルダールは愛などとは無縁に存在しつづけただけの者なのだから。これほどまでに愛に恵まれたのは、自分の内にある半身のおかげなのかもしれない。
「さらばディエンタール――――」
世界が炎に、雷に包まれる。
「愛する者のため、そのすべてを打ち砕いてくれる!」
ディアボロスはその斧を高く振り上げた。
終わらせるのだ。忌まわしき企みの全てを、今ここで。
――――――――待ちなさい!
その声はディアボロスがその斧を振り下ろす瞬間、微かに耳に届いた。だが、それはその斧を止める力になりはしなかった。
ディエンタールという地はここに消えた。空にまだ舞う炎と雷を残し、その全ては跡形もなく消え去り、この地には無だけが残った。カルヨソとタケルはその身を守ることができたようだ。巻き込まないよう注意は払ったが、消し飛んでいてもおかしくはなかった。
残ったのはディアボロス、カルヨソ、タケル、ノステラ、だけではなかった。ローブを着た男がもう一人立っていた。
「テユコナ…………」
善良にして温厚なる知恵の神。アーリカンが去った後、巻き込まれて姿を消した一柱である。タケルによれば、ジャンという男の転生としてこの地に覚醒したはずだ。
ジャンはディアボロスと、塔があった場所を交互に何度も見て、そして笑った。今にも泣き崩れそうな笑顔であった。
「終わって、しまいましたか」
戦いを終え、ディアボロスはその姿を戻した。それは戦いの終わりの宣言のようなものだ。だが、ジャンの顔はまるで冴えなかった。
「言いたいことがあるなら言えよ。早く!」
タケルが急かした。ジャンは何度か言い淀んでからこの世界のことを話し始めた。
「彼らの目的は、あなたたちに使徒を倒させることでした」
「それでなぜ目的を達することになる?」
「一部の神々が研究していた内容が、一度創生した世界を消してしまうことはできないか、ということでした。世界を作るときに失敗することはあります。失敗した世界はよほどひどければ自然と消えてしまいますが、そのほとんどは残ります。壊れた世界は使いみちがないので、世界はどんどん増えてしまいます。
それをなんとか消してしまいたいと、私も相談され、研究していました。そして、理屈の上ではその方法は確立されました。世界はあくまで器です。そして、その世界の中に持てるエネルギーの総量には限界があるのです。自然と消えてしまう世界は、その力を注ぐ時点で器が小さすぎ、限界を越えて崩壊するのだということがわかりました。
ですから理屈としては限界を越えるまでエネルギーを増やせばいい、ということになります。しかし、それは理屈だけで、実際にはできません。きちんと成立している世界の器は非常に大きく、神が注ぐエネルギー程度では崩壊させることはできないのです。そのため、結論としては不可能である、ということになりました。
しかし、一部の神々はそう考えませんでした。もともと世界を消したいという要望は、世界を破棄したいという意味でした。しかしそうではなく、世界を消すことによって創生の魔神を滅ぼすことができるのではないか、と考える者がいました。そして、それは神々の中だけでなく、魔神たちにもまたいました。
世界にエネルギーを直接注ぐというのはかなり難しいものです。世界を形成するときには創生のために注ぎますが、一度出来上がった世界にはそう簡単には入りません。そこで、いくつかの方法が考えられました。
ひとつは、魔術です。上層世界から枝葉世界に力を注ぐことはできなくても、枝葉世界が上層世界の力を受け取ることは、かなり限定的ですができます。そこで、便利に使うことができる魔術というインターフェイスを用意すれば、自然と人々が魔術を行使することでその世界にエネルギーが増えていきます。
もうひとつ、より直接的な方法が使徒です。使徒は神性と祈りのエネルギーからなる存在です。そして使徒が死する時、その体はエネルギーとして還元されます。このことは上層世界ではエネルギーを再獲得する方法として使われていますが、枝葉世界で死ねば枝葉世界にそのエネルギーがそのまま残るわけです」
「……それで、大量の使徒を送り込み、俺たちに斬らせた?」
「そうです。もっとも、このあたりから既に私の推測の域となっていますが……
さらに、使徒により強大なエネルギーをもたせる方法が編み出されました。人々の魂と感情を吸い上げて混ぜ込むのです。それは、あまり意味のないことです。単にエネルギーが増えるだけで、別に強くなるわけではないからです。しかし、大量のエネルギーを送り込むという点では効率化が可能です。
そこからさらに、人の命を混ぜ込めば、エネルギーが増えるだけでなく、使徒の強化にもつながることがわかりました。成功の確率は低いものの、使徒の融合に用いることができるのです。そして融合された使徒は、単に融合された分のエネルギーを持つだけでなく、さらなる多くのエネルギーを取り込み、また強大となります。
しかしこれもまた机上の空論です。魂と感情を吸い上げることも、人の命を吸い上げることも方法が確立されていません。それにそうしてエネルギーを送り込んだところで、世界を崩壊させるほどの量には到底達しません。
しかし、これが全て、その世界を崩壊させるために用意された世界であれば話は別です。
まず、世界が成立するギリギリの小さい世界を創造します。実際、使い物にならないような小さな世界がいくつも創造されています。正確な大きさで創造することはできないので、いくつも作って本当にギリギリになるものを選んだのでしょう。
そして世界が成熟するのを待ち、世界に干渉して自分が望むように動く存在を作り上げます。
それが最初のディエンタール王です。
ディエンタール王はどこから現れたのかすら不明とされていますが、覇道を極めた人物として知られています。実際、人とは思えぬとてつもない力を持っていたそうで、ただひとりで強国の軍勢を倒し、ときには国を滅ぼしもしたそうです。
そう、この滅ぼした、というのが使徒の強化のために使われたわけです。人々が祈るように仕向けるのは以前から神々の間では当たり前のように行われていることですが、ディエンタール王はより強制的に祈りを捧げさせ、そして可能な限り恐怖や絶望とした感情を覚えさせた上で、魂もろともその命を刈り取るわけです。
この過程で第三の方法が用意されました。それが、他の世界から存在を移すことで、その存在のエネルギー自体を持ち込むという方法です。
枝葉世界に神が直接君臨することは現実的ではありません。戻ることができませんから。そして、それを強制する方法があるなどとは考えられていませんでした。せいぜい追放し、枝葉世界に落とす程度のことです。
しかし、枝葉世界から別の枝葉世界に呼び出す方法があるか、などということを考える神はほとんどいませんでした。しかし、一部の神々はそこに手を染めました。
これによって枝葉世界から人を増やすという方法が確立されたわけですが、人を増やしてもそこまでエネルギーは増えません。ディエンタール王の手法によって使徒を生み出す材料を増やすという意味はありますが、ここでは別の目的のために使われました。目障りな存在、つまりゴルダール、あなたを筆頭にした者たちを処刑することです。
枝葉世界での召喚は特定の単一を召喚することはできません。が、その不特定の召喚を行うとき、かなり範囲を絞って特定の者を巻き込むことができるため、二者を融合させれば特定の者を召喚する手段として使えるわけです。ただ、これは誰でもできるわけではなく、召喚の経路上にいる者でなくてはいけません。
枝葉世界同士がつながっている場合は途中の枝葉世界の者を巻き込むことができますが、通常は上層世界を経由します。つまり、この召喚で使われる経路を罠として用意することで、上層世界の存在を巻き込んで召喚できるわけです。私もそれに巻き込まれたのでしょう。もちろん、ゴルダール、あなたも。
こうしてもともと容量に余裕がない世界を用意し、大量のエネルギーを確保し、その世界に巻き込むべき敵を落とせば舞台は整いました。そして今その計画は……達成されたわけです」
「…………」
絶句するよりなかった。つまりこの世界は崩壊するのだ。
「防ぐ方法は、ないのか」
「……ありません。なんとかしようと、私はあなたたちを止めるつもりでここにきました。結果止められませんでしたが、止めたからどうということでもないのかもしれません。既に襲いかかる使徒たちを無視できるわけではありませんし、防衛に徹しても結果は同じですから。それだけ入念に準備されていたということでしょう」
ディアボロスは奥歯を噛み締めながら空を見た。暮れゆく空に、ゆらりゆらりと揺れる裂け目のようなものが見えていた。
「もうこの世界は、あと何日もしないうちに崩壊に至るでしょう。我々の到底想像もできない苦痛と共に、この世界の人々と共に、我々もまた滅びるのです。
しかしゴルダール。そしてアーリカン。あなたたちにはまだ道があります。あなたたちの力はとても強い。今ならまだ、あの裂け目を通じて上層世界に戻ることができるでしょう。神々も、それを分かった上で戦の準備をしているはずです。上層世界でまた戦争となってしまいますが、そうして生き残ることはできるはずです」
「生き残る…… 俺たちだけが、か?」
「そうです。あなたたちだけ、です。文字通り、他の誰も助かりません。
ですがゴルダール、創生の魔神たるあなただけは例外です。あなたはさらにもうひとつの選択肢があります」
「……言え。 ……早く!」
「あなたがここの人間を抱えてあの穴に入り、あなた自身を消費すれば、おそらく何人かは上層世界まで運ぶことができるはずです。
しかし、ふたつ問題があります。
ひとつは、あなたが力を失うとき、残りで運ぶことができる人数です。そこで運びきれない者はあの穴の中で消滅することになります。その苦痛はこの世界で消えることの比にはならないでしょう。存在そのものがねじ切られるのですから。それはもちろん、ゴルダール、あなたもです。
もうひとつは、その後のことです。上層世界に届けたところで、それを掬い上げる味方はいません。我々をこうして滅ぼそうとした手に渡った民がどのようなことになるか、正直想像もつきません。すくなくとも、想像できないほどにひどいこと、ではあるでしょう」
沈黙が支配した。どうあがいても道はないのか。
「バカバカしい」
沈黙を破ったのはタケルであった。
「それで選択肢があるとかふざけてんじゃねぇのか。俺がどうするかなんて決まってる」
タケルは冷たくなったノステラの亡骸を抱き上げ、背を向けた。
「俺は最後まで女達といる。アヤソラとエリスも連れて帰ってやらないとな。
悪いな、時間がねぇんだ。じゃあな」
タケルは地を蹴り、次に瞬くときにはその姿を消していた。
「あなたはどうするつもりですか、ゴルダール」
「俺は、女達を生かす道を探す。あの下神どもに蹂躙されるなど許されるものではないが、可能性があるなら最後まで考えるべきだ。そのために俺の力も存在も、その全てを使う。むしろ、それが俺の力の理由だ」
「そうですか……
おそらく、意味はないないでしょうが、うまくいくことを心から祈っています」
「貴様はどうする、カルヨソ」
「俺はもちろん、ステンルヒアの民の苦痛を取り除くように努めよう。それと、テユコナ、ゴルダールどもが助かる道はないか、ひいてはこの世界が助かる道はないか、共に考えてはくれぬか。おそらく、言いはしないが貴様も帰れるのだろう? 俺たちを見捨てて帰ったとしても恨みはしない。上層世界の者どもも、貴様のことは歓迎するだろう」
それ以上の言葉はなかった。言葉を紡ぐ方法が残されていなかった。
ディアボロスはシトラスに戻った。
ディアボロスは女達と会った。
これまでの全て話そうとしたが、途中で涙が溢れて言葉にならなくなった。
そんなときでも、アオカナの手は優しく、ルシカの手はどこか淫靡だった。
女達はディアボロスの考えを即座に拒否した。
ディアボロスと共にあれるのでない限り、どのような提案も意味はないと強く拒否した。
今まで見たことがないほどの強い意思を前に、ディアボロスに反駁の余地はなかった。
やがて光が訪れた。
美しさを感じる余地すらない光だった。
終わりの光が焼き尽くす前に、ディアボロスはその力を解放し、シトラスを消し去った。
そこにいた人々は、苦痛もなく、迷いもなく、ただそこで途絶えた。
あとにはただ、世界らしき残骸が残った。
神々はその世界を放り捨てた。
二度と扉が開くことはないだろう。
これが神の世は安泰なのだ。