ディアボロスがこの世界にきて四日目の朝がきた。ようやく女が抱けるということでディアボロスは朝から上機嫌であった。
「昨日あんなことがあったのに、ディアボロス様は大した方です」
マリーが思い切り呆れながら言った。
「他言無用といったはずだぞ」
「……余人のいないときも憚りますか?」
マリーは眉をひそめて問うた。どうだろうか。別にやましいとか、聞かれるのがまずいと考えているわけではない。だが、口にすれば聴かれて問題になる可能性は、決して低くはない。
「この国を滅ぼしたくないのならば、誰にも聞かせるべきではない。そして、どう思っているか予め俺が誰かに伝えることはない」
しばらくの沈黙ののち、ディアボロスははっきりと言った。
「……承知しました」
マリーは恭しく頷く。手にはハーブティのポット。マリーは毎朝違うハーブティを淹れてくれているのだが、ディアボロスの感想はいずれも「おいしいにはほど遠い」であった。なるべく表には出さないようにしているが、食べ物も飲み物も、どれをとっても基本的にはあまりおいしくはない。肉類に関しては悪くないが、良い調味料がないためやや味気ない。作物に関しては、総じて味もよくないが、それ以上に食べにくい。ディアボロスはその気になれば芯だろうが骨だろうが、たやすく噛み砕くことができるが、それはさらに味を犠牲にすることになる。
目下、戦闘においてはディアボロスに驚異はないと言える。だが、暮らしという意味では、不衛生で、臭気もひどく、ベッドは固く、食べ物はまずい。力があって言葉が通じるだけではやっていけない世界だ、というのを、のしかかる疲れと共に感じていた。
(女も重要ではあるが)
楽しみと性欲発散という意味で、ディアボロスは当初から女を要求したが、実際のところ生活水準の向上のほうが優先度は高いかもしれない。このままずっとこの世界にいられるかと言えば、自信がないほどうんざりしていた。ネルラにあるような要求をしたはいいが、どうしたらこの世界の生活水準を向上させられるかについて具体的な計画があるわけではない。いくらか元の世界の知識が残っているとはいえ、例えディアボロスに全ての元の世界の記憶があったとしても自分ひとりで文明を発達させられるほど万事に知悉していたわけではないのだ。
そもそも文明の発達が円環であるということはディアボロスも理解していた。だから正攻法では時間がかかる。そのような発明による改善を省略しうる要素は、少なくとも元の世界にないものである必要があった。
「マリー、聞きたいことがある」
ディアボロスがベッドを椅子にして腰掛け、カップをつまみながら口を開いた。
「マリーは魔術について詳しいか?」
「まぁ……」
マリーは目を丸くして硬直した。
「ん?魔術に関することは禁忌であったりするのか?」
「いえ、そのようなことは……」
「ではどうした……」
「いえ、その……」
マリーは非常に気まずそうに言いよどんだ。よほど言いにくいことなのだろうか。
「別に怒りはしない。正直に言ってみろ」
それでもマリーは散々逡巡した後に口を開いた。
「ディアボロス様は娼婦のことで頭がいっぱいなのだとばかり……」
今度はディアボロスが何を言われたのか理解できず、硬直した。
「マリーは俺を馬鹿だと思っているのか……?」
「いえ、そのようなことは……むしろわたしどもには到底及びもつかない知識を備えておいでで、城の賢者ですらも敵わない方だと理解しております」
おべっかという様子はなかった。確かに元の世界で普通に勉学に励んでいればこの世界でははるか未来に得られる叡智を手にしていることになるだろう。
(巨人の肩に乗る、か……)
アイザック・ニュートンの名は記憶にあった。これは知性に関する話だ。未知のことを見つけるのは難しい。だが、同じ知識であっても既知のものであれば獲得は容易だ。未知のものを知るには途方もない時間が必要であり、人類にはあまりにも長過ぎる。だからこそ叡智は継承され、少しずつ、少しずつ真理に近づいていく。
(知性に限らないな)
工業もまた、工業の成果によってそれを利用するものが一歩進む。そして、それが一歩進んだ結果が巡り巡ってそのきっかけとなったものをまた一歩進めることになる。元の世界の「現代」と比べ「中世」が劣っているというのは単にその時代の人類が愚かだったからではない。果てしない積み重ねの先に少しずつ進歩してきたのだ。
「もちろん、わたしは魔術師ではありませんから魔術に詳しいわけではありません。ただ、ディアボロス様の世界には魔術がない……というお話でしたし、わたしも城下の市民よりいくらか詳しい程度ではありますが、お役に立てることもあるかもしれません」
マリーの口調は探り探りという感じではあったが、正確に伝えていた。
「ならば聞きたい。まず、魔術とはどういうものだ?」
「どういうもの、ですか……」
ディアボロスは、問いかけがあまりにも不明瞭だったかと思ったが、マリーは言うべきことをまとめているようだったので、黙って待った。
「この世界の根源たる力の行使である、と言われています。この世界の中にあるというよりも、この世界は魔術の元になる力があるからこそ存在できるのだ、ということです」
「ふむ……?」
「人間がその力の媒介となることでこの世界にその力を持ってくることができると。ただ、それには複雑な条件が必要になります。呪文の詠唱、魔法陣の構築などもその一部です」
「複雑な条件?単純に魔力があれば呪文と魔法陣によって発現できるということではないのか?」
「魔力……とはなんですか?」
ディアボロスは、もはや自分のイメージがあまり正しくないことは気づいていたが、発した以上は自分の世界の、ゲームの中の知識で答える。
「魔術を行使するためのその人間の内にある力のことだ」
「えっと…………魔術はその人の内から出てくるわけではなく、根源たる力の泉から持ってきますから、人間には特別な力があるわけではありません。むしろ、人間は条件を揃えるためだけの存在なので、魔族や、動物でも使えますし」
「そうなると、特に個人個人で魔術の力の差は出ないのか?」
「いいえ。条件がかなり個人によるのでとても差はでます。例えば、魔法陣は同じものを描いても同じ結果にならないんです」
「……なぜ?」
「わかりません。ただ、魔法陣はそれを誰が書くかによって少しずつ違うものが必要です。しかも、魔法陣をどれだけ綺麗に書くかということは魔術の大きさに直結します。それに、呪文をどんなふうに唱えるかによっても変わりますし、人間が魔術を持ってくる道の一部になるので、道として優秀でないと大きな力が持ってこれないのです」
確かに複雑な条件だ、とディアボロスは思った。魔法陣が一様でない、となると教育も成り立ちづらい。
「魔術師というのは稀なのか?」
「……百はおりませんね。塔の件がある前ですが……」
ディアボロスとの戦闘で、この国が想像以上に甚大な被害を受け、戦力を失ったことをディアボロスは感じた。いくらか申し訳なくもあるが、ディアボロスとしては王が必死になる状況であるほうが望ましいし、弱みを握っていると言っていいだろう。
「魔術の最大威力というとどの程度のものだ?」
「数日に渡って複数の魔術師が引き継ぐものであれば、山を削る、と言われております。数発打つことができれば、城を粉砕できるそうです」
フィクションとしては山などまるごと吹き飛ばすものというイメージがあるが、実際のところそれはミサイルとして考えても十分すぎる威力ではないだろうか。マスケット銃すらないこの世界では規格外といっていい威力だ。ディアボロスは魔術が一撃必勝の大技であるという認識を強めた。

ディアボロスがマリーから魔術について聞いて感じたのは、過剰なまでの制約の厳しさだった。呪文詠唱がその成否に影響するため、詠唱速度のコントロールの余地が少ない。その上、発動は形式が完成すると直ちにであるため、魔術式を開始した時点で発動タイミングは固定されてしまう。さらに、術者は魔法陣の中心にいなければ魔法陣が成り立たなくなるため魔術の完成まで術者は動くことができない。魔術の射程は術にもよるがそれほど長くなく、相手の感知範囲外からの攻撃というのは考えにくい。そのため、戦闘では長時間に渡り戦線を維持しなければならず、優勢であれば発動させるまでもないし、劣勢であれば魔術の発動に失敗する可能性が高い。
このことから魔術の戦闘は主に攻城戦において活用されるようであった。
そして、そのような性質であることから日常的な理由というのはあまり考えられないようだった。数少ない術者が時間と労力をかける必要があり、しかも発動のタイミングは固定され、効果はその場に限られる。
なにより、「無から有を生み出す」類のものだから、とてつもないものであることは間違いないのだが、「凄ければ有用である」ということは事実ないのだ。その凄さが有用である部分は全くないわけではないのだが、実際には空気中から水分を取り出すことができるくらいのほうがずっと有用である。
だから、動力にする、というようなことは考えられないし、明かりも魔術的な方法ではなくオイルランプが使われているわけだ。電球はトーマス・エジソンが実用化したのだったか。同じように歴史をたどるとすれば、ここから四百年は未来の話になる。電気の実用化自体が二、三百年は先の話になる。
この世界でどれほど生きるのかはわからないが、ただ知識だけで文明をもたらすのは困難であることを確認するばかりだった。

マリーはこの巨人のあまりにも意外な振る舞いに、困惑と、恐れと、安堵と、少しの喜びを感じていた。
マリーが当初ディアボロスに対したときには、ただただ恐ろしかった。この世のものとは思えない音とともに城が揺れ、侍女たちはパニックになって泣き叫んだ。騎士が、塔で召喚した悪魔が暴れていると報告したときには、取り乱すあまり他の侍女に襲いかかる者や、城から飛び降りた者もいた。
実際に目の当たりにすると、その巨人は神々しくも禍々しく、いつも自信と歓びに満ち溢れた王が絶望と葛藤に沈んでいることもまた、この世界の終焉を感じさせた。
説明を受けたときにその印象は大きく変わった。力だけを持ち、欲望に忠実で、挟持を持たない下卑た乱暴者としか思えなくなった。そのような乱暴者に慰みものにされるのだと思うと、いままで日々尽くしてきたことがどれほど愚かだったと感じられ、自分を身を投げるべきだったと嘆きさえした。
だが、その印象は一日と経たず覆された。ディアボロスは日頃、思索に沈んでいることが多い。それは、城で魔術師や賢者たちが見せる表情に似ていた。魔術師たちは何事かを考えていることが多く、会話も上の空で噛み合わないものが多い。一言でいえば変わり者が多いのだ。しかも、深刻に考え込んでいたかと思えば、突如ニヤニヤと笑いだし、ふさぎ込んでいたかと思えば突如走り出したりもする。そうしたことから、場内では魔術師が「何を考えているかわからず、不気味だ」と言う者が多い。
だが、マリーはそのようには感じていなかった。彼らは考えることで前に進んでいるのだ。何も見えなければふさぎ込み、何かを見つければ喜ぶ。そうした情熱と探究心を内に秘めているのだと感じると、微笑ましく、頼もしかった。
賢者たちはいつもしかめっ面で難しいことを考えていることが多い。楽しんでいるという感じのする魔術師たちとは違い、どちらかといえば戦争のことを話す兵士たちに通じるものを感じていた。彼らは考えることによって戦っているのだ。
そしてディアボロスの印象は、それらの両方を混ぜ合わせたようなものだった。
いつも難しい顔で考え込んでいるのだが、必死に戦っているというよりは面白がっているように感じられた。そして、そこには賢者たちすらも及びもつかない、崇高な叡智を弄んでいるのだということが感じられた。この人は本当に神なのかもしれない――そう思うことも少なくなかった。
そんな中、昨日はディアボロスに対する感情が揺れ動き、大変であった。朝は失望したし、そういう下卑た者であったということを思い出しうんざりもした。城に戻れば、真剣にマリーを生贄にすることが検討され、ディアボロスに慰みものにされることを想像すると恐怖と悲しさでいっぱいになり、泣きながら他に方法を考えてほしいと訴えることになった。
そこまで必死な思いをして精神を疲弊しきった状態でようやく帰ったが、今度はディアボロスが不在であった。どこにいるのか、何をしているのかと考えると恐ろしくなった。別にマリーは監視を言いつけられているわけではないが、ディアボロスがどこに行こうが大事になることは容易に想像できた。
さらに、待つしかないというリクリエとは言い争いになり、こんなにも疲弊しているにもかかわらずさらなる災いをもたらすディアボロスを心から恨んだ。表に出さないようにはしたが、夕には相当憤慨していたのだ。
そこへ、夜には襲撃である。王との交渉によって今があることを思えば当然だったのだが、ディアボロスは横暴に振る舞う印象であり、交渉をするようなタイプであるというイメージがなかった。だが、ディアボロスは交渉した。そして、その交渉の内容は、その意味がマリーには全くわからないものであった。見間違えることのない巨大なディアボロスが、全く違う人物であるかのように見えた。それは悪魔のようでもあったが、それ以上に、したたかに利益を求める、為政者の姿だった。
そして、ディアボロスがこの国から出ていく、ということは考えたこともなかった。考えていたのは、ディアボロスがこの国の守護者として君臨する世界か、ディアボロスがこの国をしゃぶりつくし、滅ぼした未来のどちらかだけであった。国王としては、ディアボロスが去る、ということはもはや手に負えない存在であるディアボロスを抱える必要がないことを意味し、良いことであるはずだが、ひどい裏切りであるように思えた。
それがとても理不尽な感情であると自覚していたから一度は封じ込めたのだが、今度はディアボロスが他国に渡り、そして「守護者として君臨する世界」に至ったらどうなるかということを考えて恐ろしくなった。
ディエンタール国王とノイラル公国との関係は、つかず離れずといったところだ。遠くはないが隣接してもいないノイラル公国とはあまり国交がないというのが実情ではあるのだが、鉱物資源が豊富なノイラル公国との貿易はなくてはならないものでもある。しかもノイラル公国は単に資源国というだけではなく、加工技術も優れ、様々な武器や工具も輸入している。一方、ノイラル公国は北方にあり、周囲に動物が少ないことから、家畜や毛皮などをディエンタール王国から輸入している。こうした、普通の貿易相手であるが、最大のというわけでもない。
両国の間で戦争になったことはない。最大の理由は、間にあるのが大国ミュットランダル帝国であるというのが大きな要因だろう。そもそも、ノイラル公国はミュットランダル帝国から諸侯がまとめて割り当てられた土地によって独立したものだ。内戦に至るほどではなかったが目障りな存在となっていた一派を北方の辺境に押し込めた、という意味もあり、ノイラル公国とミュットランダル帝国の仲は冷めたものだと言われている。だが、ノイラル公国を統治する諸侯はそもそもミュットランダル帝国でも影響力があり、帝国としてもそれに依存している部分がある。そうした複雑な関係ではあるものの、「冷めてはいるが密な関係」といえ、ディエンタール王国としてはもし侵攻する場合は帝国との戦争が避けられない。
一方、ノイラル公国としても帝国の頭越しに戦争をするわけにはいかないからディエンタール王国に対する戦争行為は過去なかった。
だが、だからディアボロスがノイラル公国に行ったとしても安心だという話にはならない。ディエンタール王国とミュットランダル帝国の間にはいささか緊張感があるのだ。両国もまた隣接しているわけではないから即座に戦争という事態にはならないが、歴史的にみれば両国の間で戦争はあったし、その巻き添えになって消えた国もある。
つまり、ディアボロスがノイラル公国に行ってしまうと、ノイラル公国とミュットランダル帝国が手を組んで支配権を広げる、あるいはノイラル公国がミュットランダル帝国に反旗を翻して侵攻を始める、という可能性も考えられた。
ディアボロスが何を考えているのか、この国を憎んでいるのか……考えれば考えるほどに恐ろしく、どうすればいいのかと思い悩んだ。
しかし元より交渉をするようなタイプであると見えていなかったこともあり、まだマリーにはディアボロスがそこまで深く考えた上で行動しているとは考えられなかった。だから、今日はさぞ浮かれた様子ではじまるのだろうと思っていたのだ。
ところが実際には朝から何事かを考えており、口を開いたかと思えば魔術のことなど尋ねる。気まぐれかと思いきや、城内に魔術に関する書庫はあるか、魔術師に話を聞くことはできないかと実に真剣である。
この巨人が一体何を考えているのか。空恐ろしくもあり、頼もしくもあり、マリーは心をどこに置けばいいのかわからなくなっていた。

リクリエがやってきたのは昼過ぎだった。ディアボロスとしては、思ったよりずいぶんと早かった。風俗とは夜行くものだという先入観があったからかもしれない。
リクリエのほかに、いかにも色男といった感じの青年騎士、見るからに真面目そうな老年の騎士、堅物そうな青年とにこやかな中年、そして中年の侍女が二名、妙齢の侍女が一名。聞いてはいたがディアボロスのほかにマリーとリクリエも含めると九名おり、大所帯であった。
「警備と、娼館の都合から今のうちに貸し切りで来訪します。娼婦を選ぶまでは、我々も同席します」
相変わらず爽やかであり、逆に言えばその心情を見事に隠した振る舞いであった。
表には馬四頭で牽く荷馬車に幌をかけたものが用意されていた。
「俺は荷物か……まぁ、いい」
この行列がどれほど目を引くかということを考えれば、姿を隠す意味はないと思われたが、ディアボロスはおとなしく従った。

しばらくして到着したのは、実に立派な建物であった。庭はそれほど広くないとはいえ、どこかの貴族の館だと言われても違和感はない。
男の従者ふたりは馬車のもとに残り、騎士と侍女が付き添った。
「ようこそお越しくださいました。わたくしがこの館の主、ミネオリスにございます」
ディアボロスを迎えたのは紫色のドレスを着た女性であった。齢四十前後だろうか。妖艶で、客をとっていても不思議ではないように思われた。
以下に揃うのは約二十五の女たち。これが在籍するすべてだとするならば、思ったほどは多くない、とディアボロスは感じた。若い女が多いが、三十前後に見える程度まではいる。見た目には主張が強いのは六割ほどで、残り四割は少し洒落っ気のある町娘という感じだ。
「貸し切りですので、お好きにお選びください。身請けは二名まで、ということで話がついております。選ぶまでは私どもも同席させていただき、選んだ理由もお聞かせください」
リクリエはそのように説明した。ディアボロスは少し考え込んで、女たちを眺めた。
「ひとりずつ、話を聞きたい。構わないな?」
ディアボロスはミネオリスに向かってそう言った。ミネオリスとリクリエはうなずきあい、全員に一人ずつ、話を聞くこととなった。

一行は部屋に通された。ディアボロスは毎夜営みの行われるであろう狭い部屋を想像したが、どちらかといえば宴会場に近い部屋に通された。
ディアボロスはその部屋にソファがあることに驚いた。ソファは歴史的にはもっとあとに登場したもののはずだ。文明的には元いた世界を追従しているわけではないのだろうか、と考えを巡らせたが、今はそのときではないとその思考を振り払った。
ディアボロスはひとりずつ女を呼ぶと、全員に同じ質問を投げかけた。「周辺国との関係性はどのように認識しているか」「この国はどのような未来を目指すべきだと思うか」「もし手から自在に水を生み出すことができるとしたら何ができると思うか」「ディアボロスによって身請けされた場合、どのようなことに留意して過ごそうと思うか」である。
ディアボロスは聡明な者を望んだ。広く知識と関心があり、日々考えを巡らせ、なおかつ新しい問題に知性を通わせることができる者が良いと考えたのだ。それでいて、忠誠心が高く気が利く者が良い。そのように考えて話をするうちに、それはマリーのことではないか、という気持ちが沸き起こったが、そのことは気づかないふりをした。
これらの質問に対して、中にはディアボロスを失望させるような者もいた。
「国の未来……ですか。そうですね、税が軽くなるといいな」
「水ですか……? はぁ、喉が渇いたときは便利かもしれません」
だが、そのような者は半数程度であり、残り半数はしっかりと考えた上で答えを返した。

ディアボロスの興味を特に惹いたのは、長い黒髪の妖艶な女だった。物静かで怪しく、齢のほうは二十代後半と見え、この場所では高いほうだった。
「ではいくつか質問させてもらいたい。忌憚なく、思うままに答えてくれ」
「はい、かしこまりました」
「ではまずひとつ目だ。この国と周辺国の関係性について、どのように考えているか」
最初にこの質問をしたときには列下に衝撃が走ったが、もはやなんの動揺も見られない。
「周辺国……具体的に特にどの国と考えておられますか?」
「具体的にどの国、ということはないが、ではノイラルについて」
「ノイラル……でございますか……」
女は考え込んだが、口を開くのはそれほど時間を要さなかった。
「ノイラルについて、わたくしどもはあまり多くを知りません。工業が盛んな寒い国、というぐらいでございましょうか。帝国から独立した小国という認識が強いくらいでございます」
「……ふむ、続けてくれ」
「工業が盛ん、ということはこの国にとっても重要な交易相手である可能性もございます。例えば、外交のためであったり、あるいは武装のためであったり。しかし、それはわたくしどもにとって知る由もないことでございますから、わたくしどもにとって、あまり存在感のない国ではございます。
 ただ、見方を変えればノイラルが中立的な国なのであればわたくしどもとしても帝国に対する牽制が効くことでしょう。ですから、ノイラルとの現在の関係はわたくしにはわかりませんが、有効的な関係であることは重要である、とわたくしは思います」
ディアボロスはこの女の明瞭な考えと筋道立った説明がとても気に入った。次の質問をするときにはいささかテンションも高かった。
「では次だ。この国はどのような未来を目指すべきだと思う?」
「国の未来、でございますか……これまた難しい質問でございますね。
 そうでございますね……この国はあまり資源もなく、土地に恵まれているわけでもございません。交通の要衝として商業で栄えた街でございますから、変わらず商業、交易に力を注ぐのがよろしゅうございましょう。
 しかしながら、今の御時世、モンスターや力の強い動物が活発で、さらに魔族の行軍もあったことを思えば、閉鎖もやむをえないことなのでしょう。しかし、交易で栄えた国が門を閉ざすのは自らの首を占めるのも同然、一刻も早く平和を取り戻し、交易を再会することがこの国には欠かせないことでございましょう。きっと、そのためにディアボロス様が――いえ、口が過ぎました」
「構わない。そして、事実そうだろう。質問を続けよう。もし手から自在に水を生み出すことができるとしたら何ができると思うか?」
「水を自在に……」
今度は深く考え込んだ。思いつかない、というよりはより良い答えを模索しているように見えた。
「死ぬ人や、苦しむ人が、減るのではないでしょうか」
「……………………ほぅ?詳しく」
「水が汚れたために滅びた街があった、と聞き及んだことがございます。汚れは病を運ぶのだとも。でしたら、澄んだ水がいくらでも出せるのでしたら、病を遠ざけることにはなりませんでしょうか」
「…………素晴らしい。では最後の質問だ。俺に身請けされた場合、どのようにしようと思うか。あるいは、どのようなことに留意しようか思うか」
「……身請け……でございますか」
女は考え込んだ。それは、拒否の態度とは見えず、喜んでいるということもなく、ただ考えているというようであった。
「旦那様のお体はいたく立派でございますから、不便なことも少なくないかと存じます。わたくしの体でご満足いただけるかはわかりませんが、夜技を尽くすことはもちろんのこと、身の回りの不便、そしてそのお力を使われるご決断の一助となれるよう、尽くさせていただきます」
ディアボロスはそこまで聞くと、とてもうれしそうに何度も頷いた。
「女、名前は?」
「申し遅れました、わたくしはアオカナでございます」

「いかがでしたか?」
「素晴らしい。よほどのことがない限り、彼女のことを呼ぶだろう」
ディアボロスは上機嫌であったし、事実、これ以上話を聞く必要はないのではないか、とすら思っていた。これほどの逸材が娼婦であるとはにわかには信じがたいくらいだ。
だが、そうことは簡単ではなかった。ディアボロスが見目に好むところが他にいた、というのもあるが、それとは別に、心ゆり動かされる女が現れたのだ。

「ルシカ、でございます」
最年少、ということはないにせよ、かなり若い方であることは確かであった。ここまで若い女が良い回答をみせたことがなかったこともあり、ディアボロスは質問するときにそれほどの熱意はすでになかった。
「ではいくつか質問させてもらいたい。忌憚なく、思うままに答えてくれ」
「はい、かしこまりました」
「ではまずひとつ目だ。この国と周辺国の関係性について、どのように考えているか」
「周辺国……でございますか……
 多分、危ういものでございますね」
あまりにはっきりした口調で言うので、ディアボロスばかりか騎士たちすらも色めき立った。
「なぜそう思う?」
「この国は、遠くの国から訪れた英雄が覇道の果てに建国したものである、と聞いております。もちろん、そのこと自体が問題になることはないでしょうけれど、初代国王はいくつもの不思議な、そして強大な力を使い、あらゆる敵を撃退した、と」
ディアボロスが戸惑っていると
「そうした話は歌としても、あるいは童話としても言い伝えられております」
とリクリエが耳打ちした。
「国王様自身がそのような力を備えていたのでなければ、覇道を成し遂げる力がこの国には眠っているということになります。であれば、その力は狙われるものなのではないでしょうか。特に、今はその力の存在を誇示できていない状態ですから」
ディアボロスにとっても、騎士たちにとっても、盲点であった。力はこの国にある。それはこの国の切り札であり、この国を守護するものだ。ディアボロスの存在が望み通りにならなかったとしても、その位置づけそのものは変わらない。だが、力そのものが狙われうる。ディアボロスの存在をではなく、あるいは召喚の秘法そのものが。
「おもしろい観点だ。ではこの国はどのような未来を目指すべきだと思う?」
「……友好的関係ではないでしょうか」
「友好的?」
「この国はもともとそうした大きな力がありましたし、豊かな国です。さらには、交易にも欠かせない位置にあります。ですから、強い国だと思うのです。でも強い国が危機に陥ったとき、むしろこの国は滅ぼしてもほしいものの多い国、ということにはなりませんか?自分たちの力だけで生きてゆけないなら、助けてくれる存在が必要だと思うのです」
これは似たようなことを言う女はいたが、明らかにルシカは明確な信念を持って答えていた。ルシカは侵略の危機を感じているのだ。
「詳しく聞きたいところだが、別の話をさせてもらおう。もし手から自在に水を生み出すことができるとしたら何ができると思うか?」
「……水……もしも、自分だけがそれができるのなら、誰にも言わないと思います」
「なぜ?」
「渇きに苦しむこともなく、身を清めることもできて、干ばつのときにも作物を育てられる、そのような力があれば、狙われるのは明らかですから」
恐れの深い少女だ、とディアボロスは感じた。だが、疑心暗鬼であるというよりは、人の心の暗い部分に敏感なのであろう。
「この国の誰もができるとすれば?」
「そうしたら……作物も、鍛冶も、暮らしもまるで違うものになるでしょうね。街はきれいになって、庶民にも当たり前に水が回ってくる……井戸を奪い合うこともなくなるでしょう」
この少女が願うのは平和と平穏なのだ。そのことを痛感した。
「最後だ。俺に身請けされた場合、どのようにしようと思うか。あるいは、どのようなことに留意しようか思うか」
「身請け……」
ルシカは少し怯えたような様子を見せて、しばらく考え込んだ。そして恐る恐るといったように口を開いた。
「末永く大事にしていただけるよう、尽くしたいと思います。ディアボロス様がなにをしてほしいのか、どうすることでディアボロス様に喜んでいただけるのか、そのことを考えながら過ごすようにしたいと思います」
「……ありがとう。最後に名前をもう一度」
「ルシカ、でございます」

全員の話をきいたとき、ディアボロスの意思は決まっていた。
「いかがでごさいましたでしょうか」
入室したミネオリスを見てディアボロスが立ち上がった。
「素晴らしい女性が多かった。感服したぞ。俺の考えは決まっている。アオカナ、そしてルシカを呼びたい」
「畏まりました」
ミネオリスが恭しく頭を下げて退室する。
「アオカナさんは私からみても納得ですが、ルシカさんはなぜ?他の女性とあまり変わらぬ受け答えに見えましたが」
ミネオリスを見送ってからリクリエが尋ねた。
「率直な物言いもそうだが、あれは臆病な女だ。だが、臆病であるにもかかわらず、騎士すらいるこの状況であれを口にした。それだけではない。臆病であることを逃げの口実にしていない。臆病であるからこそ、真摯であることがあの女の生き方だ。それが気に入った」
騎士一同はわかるようなわからないようなという顔をした。
「わたしは、なんとなくですがわかります」
マリーが口を開いた。なんとなし、侍女たちもそれに追随するようであった。
「多分、ルシカさんはディアボロス様に従いますし、それもいやいや従うわけではなく、忠実に従うと思います。そして、裏切らないでしょう。ディアボロス様は、そういうタイプの女性がお好きということだと思います」
「しかし、そうなるとアオカナさんと随分違うように思えますが……」
「アオカナさんも忠実に尽くし、裏切らないタイプでしょうし、自分の芯があって、色々なことを考えた上でひとつの自分の生き方を基準にして生きている、という点で共通しています。このふたつが条件だったのではないでしょうか」
リクリエの疑問にマリーが答えた。すると、中年の侍女も
「アオカナ様は強い女、ルシカ様は弱い女に見えやかもしれませぬが、どちらも一途で尽くす女でございましょう。そして、己の信じるもののために殉じることも厭わない、強い女でございますよ」
と言えば、若い侍女も
「おふたりとも目がとても強くていらっしゃいましたし、案外似ているのではないでしょうか」
と続く。女たちにそう言われては、とリクリエも苦笑した。
「リクリエ殿、女というものはいつでもよく見ているものでございます。助平心など見透かされますわ」
老騎士が笑いながらリクリエの肩を叩いた。

「失礼いたします」
扉が開かれ、ふたりが揃って姿を現した。堂々としたアオカナと、少し警戒心を見せるルシカ。ふたりとも、先程より扇情的な衣装に着替えていた。
「お選びいただき、光栄にございます」
アオカナは積極的で、ルシカはそれに続くような格好であった。そのままディアボロスに近づき、しなだれかかる。そのままキスをし、あるいは体に口づける。ひどく性急にすら感じた。
話したいこともあった、ディアボロスはそんなことを考えたが、ふたりの巧みな性技と性急な責めに、そのようなことを考えている余裕はなかった。結局、一度してすっきりとした気分で二人と話そう、と考えた時点で、すでに二人に骨抜きにされているといってよかった。
「緊張しておいでですか?」
アオカナが息を吹きかける。ルシカがディアボロスの体を撫でる。どのように見えたとしても、ふたりは確かに娼婦であった。

結局、ディアボロスは二人を同時に相手した上で、二人それぞれに劣情を吐き出し、それでもまだという状態でそろそろ帰る必要があるとマリーに呼ばれる、という事態に至った。
ディアボロスは迷うことなく二人の身請けを決め、リクリエに告げると完全に予想していたリクリエによってあっという間にその手続きを終え、帰りの行列にはアオカナとルシカが加わることとなった。
宿に戻り、問題となったのは部屋割りだ。宿には四人で泊まれる部屋がなく、二部屋に分かれることとなった。マリーはアオカナと部屋をともにすべきと主張したが、ディアボロスは変わらずマリーと同室とすることを主張した。もちろん、誰もそれに逆らうことなどできようはずもなく、そのとおりになった。そして、寝る前にはふたりと話すことを決めたので、マリーは一旦席を外した。

リクリエには別れる前、ノイラル公国からの誘いがあったことを告げた。その上で、ノイラルに対して行った回答を明かし、ディエンタール王国に対しても同様の要求を行うということを告げた。リクリエは複雑そうな顔をしたが、そのまま了承した。
「仮に」
リクリエは聞いた。
「ノイラル公国に行くとなった場合、それは我々に対する敵対を意味しますか」
「それは独立だ。ノイラル公国が先に条件を満たし、ディエンタール王国があとから条件を満たしたとする。追加された条件も含めてな。その場合、俺はノイラルにいたとしてもこの国を守護することを約束しよう。なんなら、両国の間を取り持つことすら考えている」
「……わかりました。陛下にお伝えします」
おそらくこの国もノイラルとの争奪戦に乗らざるをえない、というのがディアボロスの考えであった。それは、この二人もそう理解しているのだろう。

「ルシカとは、今日だけで今までより多く話をしたかもしれません」
アオカナがディアボロスの胸を抱きながら言った。二人をもう一度ずつ抱き、疲れ果てた二人はディアボロスに抱きついて休んでいるのだった。
ディアボロスの体は常人の一・五倍ほどある。それは縦にも横にも、というものであり、男根もまた一・五倍、あるいはそれ以上であった。いかに娼婦といえども相当に苦しんだものの、なんとか受け入れることができる大きさだったようで、大変な疲弊を伴いながらも夜伽をこなしたのである。
「娼婦同士で話さないものなのか?」
「そんなことはございませんが……わたくしとルシカは、あまりタイプが似ていないものですから、話す機会もない、ということでごさいます。自ず、お呼びくださる方も全く違った層になります故……」
「アオカナには、私が新入りの頃に少し説明をしていただきました。でも、アオカナは人気の娼婦で、私は安い娼婦ですから、扱いも全く違いますし、部屋も遠いのです」
ディアボロスはある程度納得する。格差があることもわかるし、機知に富み、妖艶で美しいアオカナに人気が出ることも理解できる。だが、ルシカの可愛らしさや、魅力を理解できないのだとしたらとんだ節穴だ、と思った。
「だが、これからは俺達は一心同体も同然。仲良くやっていこうではないか」
「……はい」
ルシカが先に答え、アオカナは黙ってディアボロスの胸に顔をうずめた。
「不安か?」
「……不安でないと言えば嘘になります」
アオカナが答える。
「しかしわたくしは既に旦那様のものとなった身。嘆いたり、後ろを振り返ることに意味はございません。ただ、この身は旦那様に尽くすのみでございます」
艶を含んだ淡々とした言葉にその感情は読み取れない。拒否はしないということと、拒否感はないということは違うのだということを感じてしまう。それはマリーもまた同じことか。
「私は、ディアボロス様にもらっていただけてよかったと思っています」
ルシカは意外なほどはっきりと、そう告げた。
「私は娼婦としてのお仕事が向いているとは思えませんでした。みなさんみたいにうまくできなくて、だんだん居づらくなって……
 最初、ディアボロス様はとても恐ろしい方に見えました。この方におもちゃのように扱われたら、私なんてどうなってしまうのだろうと。でも、もうそれでもいいとも思いました。
 けど、ディアボロス様は私達のことを気遣ってくださって、ああここが私の居場所になるのだと思えましたから」

2019-09-28

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